更年期に母を襲った病①
ブログ | 25.05.09
こんにちは。椿彩です ☼
今日は、私が女性のホルモンバランスについて勉強をはじめ、この仕事を選ぶきっかけになった母についてお話しようと思います☺
母はとても真面目でやさしく、家族のために生きていた。
そんな人でした。
朝は仕事に行く父のために靴を磨き、車のエンジンをかけて準備をして、父と兄と私のお弁当を作り、祖父母の朝食を作ってから、子供たちを駅まで送迎します🚙
お昼間は夕飯の買い物、洗濯、掃除
夜は夜ご飯の支度に、子供たちの送り迎え、夜遅くに仕事を終えて帰宅する父を寝ずに待ち、
どんなに疲れていても笑顔で出迎えます。
この生活に曾祖母・祖母の介護も加わります。
起床は5時くらい☀
寝るのは日を越えていました。
家事は完璧で、料理はいつも4品以上のおかずが並びます。
(料亭よりおいしいんじゃないかといつも思っていました♡)
わたしが寝るベッドはいつも太陽の香りがしていました。
疲れていたと思いますが、そんな姿は見せず文句も言わずに自分のことは後回し。
いつも一生懸命で少女のようにかわいい人でした。
そんな母の様子に変化が出始めたのが50歳になった頃。(わたしが23歳くらいの頃)
ちょうど更年期にさしかかる年齢です。
脳の病気を発症しました。

失語症・パニック障害・パーキンソン病・若年性アルツハイマーなど
様々な病名が疑われましたが結果はいずれでもありませんでした。
原因は不明・病名はわからない。
これが大学病院で診断された母の病気です。
先生からは
「理由は分からないので、生まれつきもっているものがこの年齢になって症状として現れたのかも?」なんて言われてしまいました。
「生まれつきってなんですか⁉」とツッコんだのを覚えています((+_+))
脳細胞が徐々に萎縮していく症状があるため、
アルツハイマー型認知症ではないけれど、
アルツハイマー型認知症の進行を遅くするという薬を処方されました。
もちろん効かず、母の病状は日に日に悪化していきます。
徐々に、しゃべりたい言葉、単語が口から出なくなっていきました。
気力が湧かなくなり、料理を作ることが出来ない日もありました。
その後、指が動かしずらくなったり、数時間前の出来事を覚えていられなくなりました。
部屋のドアを開けることが出来なくてパニックを起こしたこともあります。
やがて料理も出来なくなり、一人で服を着ることも、お風呂に入ることも、お手洗いも、食事をすることも、眠ることも出来なくなり、自分の名前も分からなくなりました。
徐々に、確実に病状は進行していき、
母はそんな自分に対してどんどん自信を持てなくなり心が弱っていきました。
そんな日々を送る母がどれほどの哀しみと恐怖を感じていたか。
わたしには測り知れません。

📷毎年、父が母のお誕生日に送る【ママプリン】(笑)
当時の私は、ホルモンバランスという言葉を知りませんでした。
更年期に差しかかる女性に生じるホルモンバランスの変化や、ホルモンバランスが乱れることによりどんな症状がおこりうるのか。
もちろん知る由もありません。
ただただ進行していく母の病状を見ていることしか出来ませんでした。
そしてずっと気になっていたこと。
それは母の病気が「原因不明」であるということ。。
つづく。